独立の父トゥンク・アブドゥル・ラーマン

マレーシアは、複数の民族によって構成されている多民族国家である。主要民族だけをあげても、マレー系、華人系、インド系の3種類が存在している。

そこに、旧宗主国からやってきたヨーロッパ系や混血系も加わっているので、民族構成が非常に複雑になっている。

民族が異なれば、文化や宗教、生活習慣、言語なども皆異なってくるが、言語だけに注目してみると、現在の公用語は一応マレーシア語になっている。ただし、1967年までは英語が公用語だったという歴史を持つため、母語として英語を用いている国民がかなりいる。また、中国語やタミル語を母語として使用する国民も少なくない。

このマレーシアは、長い間イギリスの植民地になっていた。イギリスからの独立を果たした現在でも、イギリス連邦加盟国となっているので、イギリスとの縁が完全に切れたわけではない。

この国がイギリスの支配から脱却して独立を果たしたのは、1957年8月31日のことである。また、マレーシアという国家が成立したのは1963年9月16日だから、誕生してから50年そこそこのとても若い国だと言うことができる。

マレーシアの有名人としては、「独立の父」と呼ばれているトゥンク・アブドゥル・ラーマンをあげることができる。

ラーマンは、1957年にイギリスから独立したマラヤ連邦の初代首相を務めた政治家である。また、1963年にマレーシアが国家として成立した際にも、初代首相に就任した。

クダ王国のスルタンの家庭の第14子として誕生し、裕福な家庭環境で育った。ラーマンはイギリスに留学して弁護士の資格を取得しているため、政治家になる前は法律事務所で勤務していたという経歴を持っている。

ラーマンは、国民の悲願とも言えるイギリスからの独立を達成し、新国家としてマレーシアを結成させた功績により、国内で一、二を争う歴史的有名人の一人となっている。ただし、首相就任後に民族問題をうまくさばききることができなかったため、60代後半で政界引退を余儀なくされている。

しかし、マレーシアという国家を誕生させ、その黎明期における舵取りを一手に担っていたことについては、現在でも非常に高く評価されている。

また、首相在任中にASEAN結成を実現させるなど、東南アジア諸国の連携体制を強化するためにラーマンが果たした役割の大きさは、軽々しく見過ごすことができないものである。政界引退後のラーマンは、ベナンで余生を送り、1990年に永遠の眠りについた。